2024/09/13
尻尾
夏の間、毎日こんな感じで大量のミニトマトとキュウリを食っている。買うと高いから、それなりにズボラ苑も食糧供給に貢献しているかな
2024/09/15
かんべんしちくりぃ(スズメガの幼虫)
これはキュウリでもシシトウでもない。まともに見られないからピントも合わなかった。(合わなくてよい)
動かないから死んじゃってるのかと助手さんは心配していたが、しばらくするともっそりは動いたので、蛹になる直前なんじゃないかな。大きな葉っぱ2枚で蒲団のようにしてのっけていた。
まぁ、無事に蛹になるといいですね。蛹になったらじっくり見てもいいけど、今は見られない。
「写真、ピンボケだった」と言うと「じゃ、ちゃんと撮ってきて」と言われたが、この葉っぱをどけられない。頭だけチョロッと見えてる。このまま死んじゃうのか、それともここで蛹になるのか?
(この後、夜にかなりの雨が降った。翌日見に行くと、もう姿はなかったので、移動したんだろう)
今日はキュウリの日だった。略してキューカン日。
(キューカンバー デイ)
↑毎日ズボラ苑にばかり出ていて、すっかり放ったらかしだったかわず庵。壁がこうなっていた。去年も一昨年も、こうやって蔓を剝がしていたなあ
一応押さえておくけど、この手はもう飽きたな。
ちなみに4並びはよく見る。この時間にトイレに入ることが多いらしい
ナガコガネグモ
車に蜘蛛の巣が張っていた。ジョロウグモだと思っていたのだが、ナガコガネグモだと教えていただいた。なるほど、お腹の模様が違うのね
「自分の定位置の真ん中くらいに白色の帯を張る」そうで、それらしき白い糸のかたまりもありますねえ。でも、これは違うのかな。きれいに玉になっているようだから
ススキが出てくると、この暑さでももう秋なのかも……と思うのだが……やはり残酷暑だわ
百日紅
2024/09/16
一応押さえておくシリーズ
尻尾 その2
また太陽の動きが活発なようで……
敬老の日 「酸っぱい葡萄」の人生
テレビで出川や内村光良が還暦だというので特別企画が組まれているのを見て、助手さん曰く
「還暦って、10歳も下なのよね。まいるわね」
今朝は町内会長さんが敬老の記念品を持ってきた。70歳以上の人に配っているらしい。
来年は2つになるのかな。
70かぁ……5年後は75、10年後は80……生きていたらの話だけれど。
世の中がどうなるかも分からない。2025年が無事に過ぎていくかどうか……半々くらいの確率で大変なことになっていそうな気がする。
サーバー代が来月から値上げになるというので、2030年まで前払いした。ドメインも、tanupack.comやnikko.city、nikko.us、morimizu.orgなど、活動の場として使っているものは2030年くらいまで支払いをした。
これで、来年あたりにあたしが死んでも、しばらくはこの日記を含め、タヌパックのWEBサイトは見られるようになっているだろう。
でも、WEBごと壊れてしまうくらいの大変化が起きたら、もはやどうにもならないけれどね。
そんな中、
『馬鹿が作った日本史』の明治編は、少しずつだけれど書き続けている。
死んだ後に残す、という意識はだんだん薄れていて、今はもう、歳取った自分の謙虚な?お勉強として。
学生時代、こんなにしっかり歴史を勉強したことはなかった。興味がわかなかったから。
なぜこんな馬鹿な世界になってしまったのか、という疑問から歴史を振り返ってみようと始めたわけだけれど、学べば学ぶほど、ああ、今にはじまったことではなかったんだな、と理解できる。
人類は大昔からずっと、一部のサイコパスや馬鹿が民衆を扇動して、あるいは脅して戦わせ、殺し合いをするという生物種だった。純粋に生きるためではなく、権力欲とか、所有欲のために。
我々世代は、たまたま、そうした戦闘に巻き込まれないで人生のほとんどを過ごしてこられた。これって、人類史上、非常に珍しいことだったんだな。
大局的に世界を見られるようになると、自分が人生において社会的成功を逃したことなんて、大した問題ではないと思える。むしろ、若いときに成功していたら、今頃かなりの虚しさを感じながら老後を過ごしているんじゃないかな。肉体の全盛期に得たものが大きすぎるがゆえの「尻すぼみの人生」。
それよりは、飢えや、支配される苦痛を感じることなく、社会の片隅に半隠居して、人間とは? 世界とは? なんて、思考を現世から外側に広げながら死んでいく人生のほうが「成功」かもしれない。
……まぁ、それって「酸っぱい葡萄」でしょ、と言われればそれまでなのだが。
『イソップ寓話』(1484年3月26日刊) Wikiより
↑究極の「酸っぱい葡萄」みたいなものかな