2024/09/24
くだらない「常識」を叩き込まれる子供たち
これはひどいな。
『呼び出し先生タナカ』というフジテレビの番組だが、「優等生ママNo.1決定戦」と題した回で出された問題。
ひまわり、たけのこ、たんぽぽ、つくしの中で「仲よしでないもの」はどれ?
私立の小学校の入試問題だとか。
「仲よしでない」ってのが気持ち悪すぎるけれど、それはグッと呑み込んで「仲間はずれ」とか「違う種類の」という意味で解釈したとしても、答えは分からない。
たけのこは地下茎で増えるし、生長すると固くなるので他の3つより違う。他の3つは生長すれば枯れてしまうが、たけのこは生長するとタケになって、簡単に枯れることはない。となるとたけのこが正解なのか?
いや、つくし(スギナ)はシダ植物で、分類上、他の3つとはかなり種が離れている。
でも、スギナもタケも地下茎で増えるから仲間だとも言える。たけのこはタケの、つくしはスギナの若いときという意味でも「仲間」と言えるかもしれない。
どう考えても正解は出てこない。強いていえばたけのこだろうか。
ところが、「正解」はひまわりなんだそうな。
なぜなら、ヒマワリは夏の植物で他は春の植物だから、だというのだ。
いやいやいや、セイヨウタンポポは真冬以外ほぼ1年中咲いている。たまに真冬に咲いているのを見ることさえある。
ヒマワリは種のまき時やその土地の気候によって開花時期が大きく異なる。沖縄では真冬の1月~3月にひまわり祭りが開催される場所があるし
(ひまわりIN北中城)、道北では10月上旬くらいまでは普通に咲いていることが多い。
視点を変えれば、つくしやたけのこは生長途中(土から顔を出した直後)の姿なのだから、時期をそれに合わせればヒマワリも春に生長し始める植物である。
こんな馬鹿問題を小学校就学前の子供にテストでやらせて、変な刷り込みをさせる大人がまだいるのだなあ、と呆れてしまった、というよりは、怖ろしくなった。
「タンポポは春です。ヒマワリは夏です」と単純に覚え込ませることで、
ものを深く考える力を奪っている、とさえ言える。
さらに想像するに、この「入試問題」をやらされた子供たちの中には、
ヒマワリ、タンポポ、ツクシ、タケノコを実際に野外で見たことがない子がかなりいるのではないだろうか。実社会の中で見たことのない植物を、私立小学校に入るために「タンポポは春の花で、ヒマワリは夏の花なのよ。覚えた?」なんてやらされているのだろうか。
解答者で「たけのこ」と答えたのはウルフ・アーロン(この人、完全にテレビタレントに転職?)だけで、他全員は「ひまわり」と答えた。進行役はウルフを「こんなのも分からないの?」と茶化していたけれど、ウルフの答えはまったく正しい。番組制作責任者出てこ~い!(人生幸朗風に)
↑これもひどい。
多様性の時代とかいわれている今、こんなものを子供に強要する意味がある?
まぁ、④が正解だといいたいんだろうな、とは分かる。しかし、慣習ということなら地域差があるし(関西では味噌汁を左に置いたり、飯茶わんの後ろに置くことも多い)、家庭内でのことならさらにどうでもいいこと。
何をもってして「正しい」というのか?
漢字の書き順がどうでもいい以上に、ほんっとにどうでもいいことだ。この子が将来、料亭とかで働くことになったとき、「うちではこうしているからこうしてね」と教えてもらえばいいだけのこと。
ネットで検索すると、
- 左清右濁」という考え方があり、清らかなものは左側に、濁ったものは右側に置くという意味
- かつて、米は食べるためだけでなく、通貨や年貢などにも使われる貴重品だったから「清らかなもの」で左側、味噌汁は濁ったものだから右側へ配膳するようになった
- 中国に日が昇る東側が上位であるという「左上右下」という古来の思想があり、その影響もある
……
といった説明も見つかる。
テレビ番組中でもそのような説明をチラッとしていた。
一時期問題にされた「江戸しぐさ」に通じるものを感じてしまい、気持ち悪い。
「左上右下」は左大臣・右大臣の並びや獅子・狛犬の配置にも関係しているので、日本史、特に文化史の知識としては常識レベルだが、それをご飯と味噌汁の配膳位置に取り入れたとするのは後付けの説明かもしれないし、いずれにせよ、これを現代の「生活常識」として就学前の子供に知っていることを求めることが気持ち悪い。
これを小学校の「入試問題」にするなら、「多くの飲食店では向かって左側にご飯茶わんを、右側に味噌汁のお椀を置いて客に出します。なぜだと思いますか?」などと問いかけ、考えを述べさせる、という方法なら分かる。
「右利きの人が多いからだと思います」「右利きの人はご飯茶わんを左手に持つからだと思います」といった答えをしてくる子は、自分なりに考えたことを述べる力がある、と分かる。
そこでさらに「でも、右利きの人はお味噌汁のお椀も左手で持つよね?」などと意地悪な質問をしてみて、子供の反応を見る、というのもアリかもしれない。その子の性格が観察できる。
「お味噌汁は熱いので、右に置けば右利きの人も両手で持ちあげるのでひっくり返したりすることがなくなります」なんていう答えをひねり出す天才的な子もいるかもしれない。
さらには、「色の薄いものが左側、色の濃いものが右側のほうが全体がきれいに見えます」なんていう、大人が思いつかないような独創的な答えをする子がいるかもしれない。そういう子の個性や才能を伸ばしていくことこそが真の教育ではないだろうか。
そういうことではなく、ただ「どれが
正しいか」と訊いている。その姿勢が問題なのだ。
要するに
テレビ番組を作っている人たちの劣化がひどい。
さらには、彼らを含めて、今の大人の大多数が、こういうのを「常識でしょ」と思い込んで疑問を抱かない教育をされてきたとしたら、怖ろしい。
自分の頭で「なぜだろう」「本当かしら」「それが正しいことだといえるのか?」と考え、自分で調べてみる、という思考力こそが重要なのであって、単なる知識の詰め込みでは、洗脳されやすい、煽動されやすい大人になってしまう恐れがある。
さらには、すでに決められていること、上から言われたことに異を唱えるような人間は社会や組織からはじき出され、生きていけないと思い込むようになる。
マスメディアや官僚にそうした人間が増えてしまうと、今の日本のような異常な社会ができあがってしまうのではないか。
いつになったら報じるのか?
日清戦争、日露戦争、日中戦争~太平洋戦争……と戦争が続いた時期、新聞はまともな世界情勢分析を伝えなかった。敗戦と同時に、世の中の「常識」が完全にひっくり返った。
教科書は黒塗りだらけになり、鬼畜米英からマッカーサー元帥万歳、ギブミーチョコレートの世の中になった。
今の日本でも、新聞やテレビは完全に報道規制が敷かれ(ほとんどはメディア側が政府におもねた「自主規制」だと思うが)、命に関わる重要な情報が完全にシャットアウトされている。
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↑こうした情報伝達の努力は、行政やマスメディアではなく、個人レベルで行うしかなくなっている。
ネットでも、FacebookやThreads、YouTube、Instagramなどではこの手の情報を検閲して、見つかりにくくしたり、完全に削除したりしている。辛うじてXは消されることが少ないようだ。
自分で情報をたぐり寄せ、自分の頭で判断するということをしない限りは、戦前戦中と同じで、大きな嘘が「常識」「正義」「倫理」とされる社会の中で、コントロールされる集団の中に身を任せることになる。その結果、運よく生き延びる人も大勢いるだろうが、最悪の場合、命を落とすこともある。
2020年以降、はっきりと学んだのは、
完全な「平時」というのはない、ということだ。
異常の程度が凄まじいか薄いかの違いだけ。
今の日本の社会は、10年前、20年前に比べて著しく「異常度」が高いことは確かだ。
その現実から目を背けてはいけない。
現実を把握した上で、いかに平穏に近い状態で生きていけるかを考えるしかない。