2025/02/19
花粉症でまったくやる気が出ない

高齢者講習が終わり、寒いから花粉も飛んでいないだろうと思って薬を飲むのを辞めたら途端に鼻水鼻づまりくしゃみが再発してひどいことになっている。
天気予報サイトでは花粉は「少ない」と出ているんだがなあ……蒲団や衣服にいっぱいついているのかもしれない。
憂鬱で、なんにもできない。ティッシュの大量消費。
2025/02/20
どうせ「現世」のことだし……という現実逃避
花粉症のせいもあるだろうが、何もやる気が起きないのは歳のせいと「現世」に対する諦めからくるものだろう。
みっともないことだけれど、音楽にせよ文章にせよ、何かを生みだして発信するというのは、やはり「世の中」からの評価をどこかで期待してのことなのだよなぁ……。それがまったくないまま継続するのは、相当な精神力が必要になる。
もっと端的にいえば、
多くの名作は「締切がある」「依頼がある」から生まれる。そういうのが一切なくなって久しい。
で、この「やる気が出ない状態」に対して、最近では「どうせ『現世』のことだし……」という言葉を自分にかけてしまう。
この世界(現世)から、自分はもうすぐ消えてしまい、自分にとって「現世」は意味をなさないものになる。
自分の死後も、この世界は「よき世界」であり続けてほしいけれど、一個人としては何もできない。ほんのちょっとでもいいから何かできるかもしれないと思って、音楽や文章を残そうとしているわけだけれど、「現世」のほうはそれと関わりない道をどんどん進んでいく。
……まあ、しょうがないよね。所詮、「現世」のことだから……。
……と、そういう考えになってしまうのだよね。
無理して新作を生み出そうが、なにもせずに娯楽番組を見て、体調維持のために毎日ほんのちょっとの散歩やら屈伸運動やらを続けるだけの生活をしていようが、自分はもうすぐ死んでしまう。この肉体は焼却炉で焼かれてほとんどは煙になって上空に消え、残った灰や白骨も粉になって土に還る。
そのとき、自分の意識はこの肉体から解放されて、別の世界に行くのだろうか。
かつて、ダンカン・マクドゥーガル(1866~1920)という医師が「魂の質量は21gだった」なんていう実験結果を発表して物議を醸したことがあるらしい。死ぬ寸前と死んだ直後の体重を厳密に量ると21g違うというのだが、100年も前にそんな精密な計測ができたとも思えないし、実際、多くの批判を受けたようだ。21gって、結構な重さだよねえ。
量子のことをもっと考えてみたいなどと思って、それらしい本を買い求めても、「うれしいと思うと全身から『うれしいフォトン』が出ます」……なんていう、しょーもない人生訓みたいな文章が散りばめられていてガッカリしたり……。
以前に書いた『神は成長する』を読み直して、ああ、思っていたよりちゃんとしていたな、と感心したり……。(その分、今の自分の脳があれを書いたときよりボケているんじゃないかとなって、落ち込んだり)

親が死んだときのこと
自分の死期が近づいてくるのを意識すると、自然と、親が死んだときのことを思い出す。
お袋は2008年8月5日に満80歳で死んだ。
お袋はずっと、自分は夫よりも長生きすると信じきっていた。88歳で米寿記念個展を開くとも言っていたが、最後はあれよあれよという間に認知症になり、脳梗塞で倒れた後、病院のベッドに縛り付けられたまま数か月、無意味に苦しんで死んだ。
倒れる少し前、さかんに電話をしてくるようになり「人間死ぬ前ってこんな感じなのね」「私の人生は幸せな人生だったわよね? そう思うでしょ」などと言っていた。
仕方なく「幸せだった、ってことでいいんじゃないの?」と答えたのだが、今の自分がまさにそういう心境で、寝ているときの夢も昔のことばかり出てくる。しかも、ものすごく嫌な形で。
若いとき、間違った判断がいっぱいあって、取り返しのつかないこともあったけれど、それでも相対的(あるいは総体的)には幸せな人生だったと思い込もうとしている自分がいる。それに気づいたとき、お袋が死ぬ前に発していた言葉に重ねてしまうのだ。
親父は2019年3月11日に満90歳で死んだ。
お袋は親父より長生きすると信じきっていたけれど、結局は親父のほうが10年長生きだった。
親父も最後の何年かはひどい認知症で、どう接するか、苦労させられた。
親父は最後の最後まで死ぬことを怖がっていた。「怖い」とは言わないが、言動に死を恐れていることが表れていた。
一度、そんな親父に量子の話をしかけたことがあったように記憶している。
量子は人間の理解をはるかに超えた動きをしている。人間も結局は量子のかたまりなんだから、世界は一つではないかもしれないし、死んだ後にも量子レベルでは生きているのかもしれない……みたいな話をしたかったのだが、ちゃんと伝わってはいなかったと思う。「うん。うん」と空返事が続いたので、諦めて早めに切り上げてしまったように思う。
親父が死ぬとき、喘鳴をしながらベッドに横たわる部屋で『Orca's Song』をかけたんだけれど、あのときも、周囲の目を気にせず、枕元で量子の話の続きをしてあげればよかったと、ずっと後悔している。
死は怖くないよ。量子の世界に戻って、またどこかで違う生命の形をとるのかもしれないし、世界はこの世界だけじゃないんだから……みたいな話を、簡潔に何度も耳打ちしてあげればよかったかもしれない、と。



歳を取って、記憶がどんどん消えている今は、「意識」の連続性というものを疑い始めている。
『神は成長する』に書いたことも、まだ1年くらいしか経っていないのに、だいぶ忘れてしまっていて、へぇ、こんなこと書いたのか……と、まったく新しい書物に接するような気持ちで読んでしまう。
意識はせいぜい数分しか連続しないんじゃないか。
自分は70年生きてきたのではなく、今も「連続して死んでいる」んじゃないか。
そう考えると、音楽も文章も、とにかく形にして残しておくことに意味がある、ということになるのかもしれない。
その「意味がある」の「意味」が、自分にとっての意味なのか、他の誰かにとっての意味なのか、それとも誰でもない「何か」(『神は成長する』に書いた「神」のような何か)にとっての意味なのかは分からないけれど。




親父が残した時計との対話

220 330 40 70 30
……10の倍数揃い
これ、地味に思えるかもしれないけれど、相当難しいのよ。初めてじゃないかな。
ちなみに「2/3/4/5/6/7/8/10の倍数をすべて含んでいる」というのも成立しているな。9の倍数だけなかった。4時50分ならいけたのか。
ちなみに、しばらくこのシリーズがなかったのは、飽きちゃったからではなく、実際に「○の倍数」とか「すべて素数」とか「全数字が偶数(奇数)」とか「0~9すべてが入っている」とか、そういうのが一切なかったから。
去年は結構あったんだけれど、今年に入ってからは全然遭遇しない。
バイオリズム的なことに関係しているとも思えないけれど、不思議なもんだ。
毎日、日付を確認して、これだとどんなのが成立可能だろうと考える。
2月21日、221はほとんど可能性がない。
一見素数だけれど、実は13×17なのだ。13の倍数揃いというのはさすがに厳しい。1時30分26秒、5.2℃、36%とかならありえるけれどね。
1時21分12秒、11.2℃、33%……なんかだと「1~3だけで埋まっている」とかいうのが無理矢理できなくもない。
……そんなことを考えながら放尿~
2025/02/22
「似たもの夫婦」の日
テレビでは「今日はネコの日です」なんて言っているけれど、なんだかなあ。もっと重要なこと、ちゃんと伝えろよ、と言いたい。
……というようなことを思う、ネコ二匹と暮らす
似たもの
夫婦、ではある。

↑残念。あと4分早ければ……。しかし、夜中のションションタイムは寒い

↑一応GETしたけれど、室温と湿度がぞろ目ならもっときれいだった。残念
『神は成長する 霊肉二元論の向こう側』
肉体と魂といった単純化された霊肉二元論を超えて、「私」という意識は脳(肉体)と個性を持った神が結びついて生成されているという思考モデルを展開させた意欲的な神論。
後半では2020年以降の「リセット世界」「人間を機械化した専制世界」という企みにどう向き合うかについても触れる。
■ご案内ページは⇒こちら
ISBN978-4-910117-56-0 四六判・108ページ Amazon KDP版 1100円(税込)
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