2025/02/23
またひとり 突然に
朝(といっても昼に近い)起きて階下に降りて行くと、郵便物が二つ届いていて渡された。
一つは同級生からの謹呈本。もう一つははいつも盆暮れにお酒を送って来てくださるAKさんの夫の名前で送られてきていて、嫌な予感がよぎった。
封を切って、手紙を読むと、AKさんが亡くなったという知らせだった。
あまりに突然のことで、ショックを受けた。
昨年末にいつものように一升瓶が2本も届き、お礼のメールへの返信を読んだのが12月4日のこと。そこには「一か月前転倒し、手首や肋骨をいため、あとは負の連鎖で……」と書いてあったので心配していたのだが、まさかこんなことになっていたとは。
そのメールを受け取った6日後に倒れ、2度の手術を経て、ひと月後に亡くなったとのことだった。
AKさんは自分のことよりも常に他人のことを心配して奔走するような優しい女性。実際に会ったのは1.5回しかない。(0.5回は、知り合いがやるという演劇の招待券を送っていただいたジアンジアンで会って、ほんの1、2分、挨拶を交わしただけだったので、1回にさえカウントできないだろうということで)
最後のメールには「来年(つまり今年)喜寿を迎える」と書いてあった。
私より年上なのだが、およそ死をイメージすることなどできなかった。うまく言えないが、死とは無縁のような気がしていた。
この歳になり、知り合いやお世話になった先輩がたの訃報が頻繁に届くようになったが、こんなに受け入れられない訃報はなかった。
亡くなったと知った直後よりも、何日か経った今のほうが困惑している。
彼女の存在は、見えない歯車のように、私自身の存在、人生の中に組み込まれていて、それが「もうなくなりましたよ」と告げられたような……そんな気持ちだ。
ああ、そうか、「ポッカリ穴が空いたような」というのは、こういうことをいうのか……と、今、これを書きながら初めて気がついた。
どうやって見送ればいいのだろうと悩んでいたが、彼女がいなければ誕生しなかったあの歌を、英訳の字幕付きで再編集した動画を作ることで、30年近く応援してくださったことへの感謝を込めたい。
AKさん。安らかにお休みください。
私の人生にこんなにも関わってくださり、ありがとうございました。