






辻は戦時中は「作戦の神様」などと持ち上げられていた。行動も、自ら戦場に出向いて被弾しながら指揮し、尻込みする兵がいると叱りとばしたりする。ノモンハンでも、負傷兵を自ら運搬したり、現地人とトラブルを起こした将兵を即処刑しろと主張したりしている。ノモンハン後に短期間、漢口駐留の第11軍司令部付軍紀係に左遷されたときも、兵隊の夜遊びを厳しく取り締まって煙たがられた。第11軍参謀の山本浩一少佐が情報収集と言って頻繁に料亭に出入りしていたことを告発して、山本少佐が東京に呼び戻されるという一件もあった。その山本少佐は釈放と同時に自殺した。とにかく酒や女遊びを嫌い、極端なまでに風紀委員的な性格だったようだね。そういうところが、一部の兵士からは畏敬の念をもって見られたのかもしれない。
だけど、しっかり史実を検証していけば、とんでもない愚策をごり押しして、失敗すると責任を押しつける。失敗しても処分が軽く、東条派閥に助けられながら出世し続けたというところに、当時の軍組織の根本的な欠陥がある。
自分は酒を飲まず、夜の遊びもしないから、所属した部署の上官の行動調査をして弱みを握り、それを駆け引きに使っていたんじゃないかという話もある。自分にとっての正義がすごく偏狭で、それを押し通すためには邪魔な人間は抹殺してもいいし、なんなら世界が破滅してもいいくらいに考える、超自己中心なサイコパスかな。
他人の命をなんとも思わない一方で、自分は必死に生き抜くことにこだわった。敗戦後、僧侶に変装して逃げのびたり、日本に戻ってからも潜伏し続けたのも、生き延びることへの執念を感じるね。
戦犯指定が解除されて長い潜伏生活を終えた後は、本を書き、国会議員になり、吉田茂内閣で内閣官房長官や副総理を務めた緒方竹虎(1888-1956)や鳩山一郎総理の軍事顧問を務めた。日本は再軍備して自立するべきだと主張し、アメリカべったりの岸首相には退陣要求もした。
辻がラオスで失踪したのは中国が拉致して雲南省に連れ込んだのではないかという説もある。辻が持っていた自衛隊の具体的な装備案やソ連の軍事情報などがアメリカに渡ることを防ぐためだという説だ。アメリカが2005年に公開した機密文書に、辻に関して中国語で書かれた差出人不明の手紙が入っていて、そこから読み解くとそういう推測もできるというんだが、もちろん、これも真偽のほどは分からない。











凡太: 改めて振り返ると、近衛首相の責任というのは大きいですね。第一次近衛内閣のときに日中戦争を拡大させ、第二次近衛内閣では日独伊三国同盟を締結してしまった。
イシ: その通りだね。優柔不断とか、乗せられやすいとか、世論に引きずられるとか、いろいろな評価があるけれど、やったことは取り返しがつかないほど大きな失策だ。
近衛は、ドイツが強くなったのはナチスの一党独裁体制になったからだ。日本も同じように一国一党の挙国一致体制を作らなければいけないと考えていたと思う。
敗戦後に自殺する直前に書いた手記には、「内閣は統帥に操られる弱い造作にすぎなかった。既成政党とは異なった国民組織、全国民の間に根を張った組織と、その政治力を背景とした政府が成立して、初めて軍部を抑え、日支事変の解決が出来るとの結論に達した」なんて書いているけれど、実際にやったことを見れば、どこが「軍部を抑え」なのかと言いたくなる。軍政や独裁政治の怖ろしさを分かっていないし、国民を「同じ思想・意志を持った集団」だと見ている一種の貴族的妄想思想とでもいうのかな。とにかく、政治に関わってはいけない人だったね。
松岡の読みの甘さも責められるべきだ。
ドイツ軍の進撃ぶりが凄まじいので、すっかり幻惑されたんだろう。ドイツはあの大英帝国に敢然と空爆している。時代は変わる。ヨーロッパの覇権はイギリスからドイツに渡るだろう、と思い込んだのかな。
松岡は、日独伊の3国にソ連も加えて4国での軍事同盟が組めれば、大国アメリカも簡単には手を出せないはずだと読んでいたようだけれど、それも根本はドイツがヨーロッパ戦線で勝利することが前提になっている。結局は「勝ち馬に乗る」という姑息な考えだ。この後、ドイツとソ連が凄絶な戦闘を始めることなど、到底予想できなかっただろう。
ドイツがヨーロッパの覇王となり、日本はアジアの盟主となるのだという妄想は、近衛や松岡だけでなく、軍部、政財界、一般国民の間に広く浸透していた。その妄想が一種の信仰のようになって、国民の多くが「この聖戦のためにはどんな苦難にも耐えよう」と思い込んでいったんじゃないかな。



|
|
|---|