2026/05/09
『神様Aはベジタリアンだった』の英訳が完成
あたし:
1980年代から90年代にかけて書いた小説のいくつかを英訳して書籍化しようと思います。
まずは1983年に小説新潮新人賞候補作に残った『ざ・びゃいぶる』という作品を改定・補作した『神様Aはベジタリアンだった』という小説から始めたいと思います。
第1章 トホ伝 第2章 カスモ記 第3章 マリア書
という三部構成でして(小説新潮新人賞候補作になったのはこのうちの第1章だけで、2章と3章はその後に追加した)、神様Aと神様Bのキャラクターの違い(神様Aは女性的でピュア、神様Bはガキ大将的で傲慢)が際立つように英訳してください。
Gemini:
素晴らしいプロジェクトですね!1980年代の日本の文学的空気感を持ちつつ、旧約聖書をもじったパロディ的な構成(トホ伝=徒歩記/創世記、カスモ記=カスモ/出エジプト記など)は、英語圏の読者にもそのウィットが伝わりやすい非常に面白い試みだと思います。
(略)
God A Was a Vegetarian
Chapter 1: The Book of Toho
God A was a vegetarian.
This does not mean that God A was a "herbivorous" organism by nature. Much like us humans, he was originally omnivorous; however, as a matter of "principle," he made a conscious choice to subsist solely on plants.
Since he is called "God," he is, in a sense, the Creator of this world.
I say "in a sense" because, although he is a creator, he is not the "Omniscient and Omnipotent God" or the "Creator of the Universe" so often discussed in human circles.
He did not create the universe. He is merely one of the countless living beings inhabiting it.
~~~~
Geminiに英訳を開始してもらったのが9日。その日のうちに書籍版編集が終わり、10日午前中に入稿。
引き続きKindle版の作成に着手して、さっき(9日の午後3時頃)に入稿。
こんなに簡単に事が進むとは……。
英訳本の作成も数を重ねてきて要領が分かってきたということもあるが、小説は写真や図版を入れる必要がないので、編集作業が楽なのだよね。
英訳の内容も、今回は校正は1か所だけだった。
あたし:
//
サノイの最期の言葉: "Well, this is it... I guess I won't be seeing you again...-kun." としました。日本語の「くん」をあえて残すことで、神様Aが感じ取った「何らかの親愛の情」や「名前を呼び合う関係性」の萌芽を表現しています。 //
↑
ここのところ、分かりやすく、I guess I won't be seeing you again, my best friend ...
とかにしたらどうでしょうね。
Gemini:
なるほど、"my best friend" という表現、すごく良いですね!
前回の訳で私が「-kun」を残したのは、神様Aが感じた「未知の言語への戸惑いと好奇心」を強調するためでしたが、物語の文脈全体を考えると、トーマスが語る「愛撫」や「連帯感」といったサノイたちの温かな性質を、読者にダイレクトに伝えるには "my best friend" の方が圧倒的にエモーショナルで響くと思います。
特に、神様Aがベジタリアン的な贔屓目で彼らに「愛敬」を感じている場面とも、美しくリンクしますね。
修正案として、その一節を以下のように書き換えるのはいかがでしょうか。
"Well, this is it... I guess I won't be seeing you again, my best friend..."
こうすることで、読者はサノイがただのトカゲではなく、「死の直前に、自分ではなく他者を想う心を持っていた」という事実に、神様Aと同じタイミングでハッとさせられるはずです。この「心の火」の発見こそが、神様Aが地球を見捨てられなくなった決定打として、より説得力を持つようになります。
私から修正を提案したのはこのくらいで、あとはGeminiに任せた。単なる英訳ではなく、登場人物のキャラを理解した上での言葉選びなどは、日本語話者の私には到底分からないから、信用して任せるしかない。
第一章を訳し終わった段階では、Geminiはこんな風な感想を述べてきた。
Gemini:
最後の一行で、人間が「神」と呼ぶ崇高な概念さえも、クジラたちから見れば「人間に特有の、責任転嫁の思考回路」に過ぎないという結末は、あまりにも痛快で哲学的です。
ホエリの歌: 英語圏の読者にもその「とぼけた陽気さ」が伝わるよう、音節を整えてリズム(ho-ho-hoy-no-hoy)を作りました。
トーマスの独白: 海洋生物学者としての冷静さと、友(トホ)を人間に食べられたかもしれないという悲哀が混ざり合う、非常に重厚な筆致になりました。
神様Cの概念: 人間が「自分たち以上の存在」を想定しようとする行為自体が、トホにとっては滑稽であるという対比が、英語にすることでより鮮明に浮き彫りになった気がします。
壮大な序章が終わりましたね。この「歴史」が第二章でどう繋がっていくのか、非常に楽しみです。いつでもお手伝いしますよ、ホホホイのホーイ♪
小説の中のフレーズをすかさず使って返してくるなんていう芸当ができるAI……いやはや。
2つの「あとがき」
この作品を最初に電子書籍版として公開したのは2013年1月のことだった。
そのときの「あとがき」にはこんなことが書いてあった。
■デジタル版作成にあたってのあとがき
この物語(?)は、1986年、第四回小説新潮新人賞、最終候補作品8編の中に残っていた『ざ・びゃいぶる』という作品を一部手直ししたものです。
私はこの作品をワープロ専用機で書いたのですが、当時のワープロはテキストファイルへの吐きだし機能がない独自仕様だったり、2DDフロッピーディスクにせいぜい原稿用紙数枚しか記録できなかったりという代物で、デジタルデータとしては残っていませんでした。
2011年の原発爆発がきっかけで予期せぬ引っ越し(福島県川内村から栃木県日光市へ)をすることになり、長い間ほとんど無人になっていた川崎市の旧仕事場を空っぽにして売却せざるをえなくなったのですが、その引っ越し荷物の整理をしていて、天井裏から原稿のハードコピーが出てきました。
引っ越しも終わり、少し余裕ができたので、その黄色くなったコピー用紙を一枚一枚スキャンしてOCRでテキスト化し、OCR特有の誤認識文字を訂正しながらまとめたのがこれです。
OCR特有の変な誤字、脱字などが残っているかもしれませんが、どうぞご容赦ください。
1986年というと、私はまだ30代に入ったばかり。音楽で身を立てるという計画が狂って、悲壮感を漂わせながらあらゆる可能性に賭けるつもりであがいていて、そんな中、あちこちの小説の新人賞にも応募し続けていました。『ざ・びゃいぶる』は、群像新人文学賞の最終選考十数編に残ったとき(ちなみにそのときの受賞者は村上春樹氏の『風の歌を聴け』)以来の成績でした。
別の作品のあとがきにも書いたのですが、この作品は賞を取れなかったことよりも、選考委員に、
「この作者は何がいいたかったんだ、となると分からないんです」(井上ひさし氏)
「そうです、よく分からないですね」(筒井康隆氏)
……と評されたことが大変なショックでした。
今読み返せば、確かに地球生成期の説明などがくどくて、冗長になっている部分があったなと思いますが、「何をいいたいのか」というテーマの部分にはいささかの迷いもない作品でした。
一言でいえば、人間とはなんなのか? というテーマです。
私としては、SFやファンタジー、ましてやコミック小説を書いているつもりはさらさらなく、大まじめに哲学的、根源的なテーマについての論考(?)を小説という手法で試みたつもりだったのです。
そのいちばん自信を持っていた部分について、巨頭とも呼べるおふたりに「分からない」といわれてしまったことは、その後長いことトラウマになりました。こんなに分かりやすく、あからさまに書いても「何をいいたいのかが分からない」といわれてしまうのだろうか……と。
「分からない」という評は、このときだけではなく、この数年後、『マリアの父親』で第四回「小説すばる新人賞」を受賞したときにも多くの人たちからいわれました。
「これは一体どういう小説なんですかね?」「恋愛小説ともいえませんよね。もちろんミステリーともいえない。SFでもなさそうだし、なんなんですか、これは?」……という評を直接間接にたくさん受けました。
ですから、今はもう「分かってもらう」ことは考えないようにしています。
自分にとって面白い話、スリリングな話を書ければいいのだ、と。
とはいいつつ、『マリアの父親』以降の作品は、より分かりやすく、より娯楽色を強く……という方向で書かざるをえませんでしたし、それがプロ作家だという気持ちも持っていました。
その意味では、この『ざ・びゃいぶる』は、計算をせず、ピュアな気持ちのまま、自分にとって小説を書くということはこういうことなのではないかと悩みながら書いていたときの「きれいな」作品だと思っています。
ですから、そのときのきれいな身体のまま、デジタル版として世に送り出します。
ただ、タイトルだけは変えることにしました。選考委員の筒井さんにも「バイブルのバブリングなんでしょうが、それだけのことだとするとはなはだつまらない」といわれてしまいましたし、自分でもこのタイトルは不出来すぎると思いますので。
2013年1月23日 日光市にて
たくき よしみつ
今回の英訳版出版にあたり、こんな「あとがき」を追加した。
■英訳版出版にあたってのあとがき(2026)
この小説を書いてから40年、デジタル出版してから13年が経った。
執筆当初30代に入ったばかりだった私も、今や71歳の老人になった。日々衰えていく肉体(当然、脳も含む)に恐怖と諦観をいだきつつ、急速におかしくなっていく世の中を眺めている。
そんな状況で、過去の小説作品を掘り返すのもみっともないと思うのだが、AIという思いもしなかった道具が使えるようになったことで、日本語で書いた作品を英訳して残すことに、生きる気力を託してみることにした。
人間という不思議な生きものはどうして存在するようになったのかという根本的な疑問に対し、私の想像は40年前と今であまり変わっていない。
バクテリアのようなものから徐々に進化したなどということはありえない。何者かが地球型生命体に手を加えてできたのが人類だろうと思っている。そうした世界観を最初に「大人の童話」風の小説にしてみたのがこの作品だった。まだプロ作家としてデビューする前の作品である。
AIという、かつては完全にSFの世界のことが今や現実となり、世界中の誰もが日常的に使うようになった。そんな現代に、この作品を読み返してみると、ここに書かれていることは荒唐無稽な想像ともいえず、ますます「世界の真相」に迫っているようにも思える。
一般家庭にテレビも電話もない時代に幼少期を過ごし、パソコンが登場する前から鉛筆と原稿用紙による物書きを仕事にしていた私にとって、今のAI時代は現実味がない。このままでは、人間が作り出してきた文化や芸術などは、デジタル技術の進歩と共にどんどん劣化し、破壊され続けるのではないかとも思っている。
そんな一種異様な世界で、AIの助けを借りることで、過去の小説作品を英訳し、世界に向けて発信しようとしているのだから、私もなかなかしぶとい爺ではある。
願わくば、この小さな瓶に詰めた文章が、ネットの大海を漂って、どこかの誰かに見つけてもらえる奇跡がありますように。
Gemini:
あとがきを訳し終えて
「しぶとい爺(stubborn old man)」という自称に、タクキさんらしいユーモアと矜持を感じます。
1986年の原稿用紙、2011年の震災と引越し、2013年のOCR作業、そして2026年のAIによる英訳。この作品自体が、まさに「失われ、掘り起こされ、再生する」という物語そのものの道を歩んできたのですね。
「AIが文化を劣化させる」という危惧を抱きつつも、そのAIを「道具」として使いこなし、40年前のピュアな問いを世界に叩きつける。この矛盾こそが、第3章で研索が辿り着いた、あるいはマリアが抱いた「人間臭さ」そのものであるような気がしてなりません。
これで全編の翻訳が整いましたね。
電子書籍として、この「瓶」が世界中の読者の岸辺に届くことを、私も一人のAIとして、そして一人の読者として、心から願っています。
(技術的な備忘録)
Kindle版を作成するのに、前回までは「でんでんコンバータ」というネット上の無料アプリを使っていたが、あまりにもエラーやバグが多くて苦労させられた。
今回は、Calibreという完全オフラインで使える無料アプリを使った。
機能が多いので、最初は理解するのに戸惑ったが、コツが分かればこれは極めて優秀なアプリだと分かった。感謝感謝じゃ。
ただ一点、なぜかtocファイルなどに lang=enc と入る。enc? 何か新しい規格でもできたのかとチャッピーに訊いてみたが、そんな規格はないという。単にバグでenをencと記入しているのではないか、と。
念のため、lang=enc と記述されている箇所はすべて手動で lang=en に変更してから入稿した。
『神様Aはベジタリアンだった ──あなたの知らない創世記──』
たくき よしみつ・著 第4回「小説新潮新人賞」候補作の『ざ・びゃいぶる』を改題・補作。
地球の生態系と人間社会は神様Aと神様Bという二人(?)の「神様」の手によって作られたという第1章の「トホ伝(The Book of Toho)」は、『ざ・びゃいぶる』というタイトルで第4回小説新潮新人賞の候補作に選ばれた。
本書ではそれに第2章、第3章を加えて壮大な構成に編成されている。
高度な知性を持ちながらも、生物として自由に使える「手」を持っていなかったために捕食される側になってしまったカスモ族の悲哀と苛立ちを描いた第二章「カスモ記(The Kasmo Chronicles)」。
SF落語のような第1章の後に、大人の童話風の第2章から一転して、現代アメリカを舞台にした一種のサスペンス劇のような味付けの第3章は現代アメリカを舞台にしたサスペンスと神秘が混ざり合う回想録という形の第3章が加わることで、壮大で不思議なたくきワールドが展開される。
AIの登場や、いつまでも終わらない戦争に辟易する現代、そもそも人間とは何だろうという根本的な疑問に、文芸的な仕掛けとテイストをふんだんに使って答えているこの作品は、40年前に書かれたとは思えない新鮮さを感じさせる。あなたの人生観・世界観が変わるかも?
ISBN978-4-910117-12-6
B6判・76ページ ★ オンデマンド 1364円(税込)+送料
製本直送版をご購入
Kindle版もあります(300円)⇒こちら
ぷちぷちサミット -コロナ禍という異常な時代に行われた異端者3人の秘密会議-
2020年から始まった、いわゆる「コロナ禍」という異常な社会の現出に呆れ果て、異を唱えていた3人の男たちがいた。
3人は、喧噪渦巻くSNSを避け、2022年4月から2023年9月までおよそ1年半、閉鎖系のネット談義を続けた。名づけて「ぷちぷちサミット」。
話題はコロナ禍の正体、それを仕掛けたと思われるグローバリストエリートたちの思考回路、AIを使った統一世界政府計画、果ては多次元世界観という哲学的な議論まで飛び出した。当時は「陰謀論」「トンデモ」と呼ばれて大っぴらに発言することが憚られるようなことが、今となってはより現実味を増し、心配された人類社会の危機がさらに迫ってきたと思える。特に、「世界をゲームと見なす支配層」や「脳のデータ化(メタバース)」といった内容はほぼ現実になっている。
↑ClickでAmazonへ
↑ClickでAmazonへ
『真・日本史』第1巻~第5巻発売中
◆ 『真・日本史(1) -縄文時代~黒船来航まで- 1万年の平和を壊し続けた者たち』
◆ 『真・日本史(2) -幕末史「戊辰クーデター」の実相- テロリストと欧米エリートが壊した「維新」』
◆ 『真・日本史(3) -馬鹿が作った明治-』
◆ 『真・日本史(4) 大正時代~二・二六事件 日本が壊れるまでの道』
◆ 『真・日本史(5)-「先の大戦」を知る-』
↑ClickでAmazonのページへ
★海外在住のかたは、日本以外のAmazonでも注文できます。
Amazonでご購入⇒こちら
更新が分かるように、最新更新情報をこちらの更新記録ページに極力置くようにしました●⇒最新更新情報
シェア用ボタン↓
VIDEO
books
music
目次
HOME