のぼみ~日記 2015

2015/05/27 

冥土の土産と最後の○○

助手さんが上京するので、早起きして駅まで送っていった。
朝8時台に起きていることはまずない。直売所に行ったら、長い間見ていなかったみとやの饅頭がいっぱいあった。これがあと3時間もすると全部なくなっちゃうのよね。

で、本日のお題は、「冥土の土産」。

「冥土の土産に」というフレーズ。長いこと、コントとかのネタやジョークとしてしか考えていなかった言葉だけれど、今は自分のこととして噛みしめている。
ひとつひとつ、諦めることが増えていき、これに関してはこれが最後かなあ、とか、思いながらやるとか見るとか接することが増えてきた。
例えばテニス。気がつけば諦めている。
川内村では相手がいなかったからできなかった。川崎に戻ったときだけやっていたが、それも間隔が開くにつれ、どんどん下手になっていった。
日光に来て、ここでならまたできるのではないかと苦労して探し、ようやく仲間に入れてもらったのだが、身体がすでになまっていて、すぐに足をつったり、一人だけへたくそでみなさんに迷惑をかけたりで、いたたまれなくなっていった。
ひどいテニス肘になって半年やれなくなったのを境に、「もういいか……」という気持ちになってしまった。

新しいラケットを立て続けに2本も買ったりして、相当気合いを入れていたのに、である。
最後のプレイはどんなだったのか思い出せない。
でも、まだ買ってあまり使っていないラケットを売り払うだけの踏ん切りがつかない。

最後の○○が、いつ突然訪れるか分からない。
最後の恋、最後のステージ、最後の本、最後のレコーディング、最後の酒、最後の飯…………。

だからこそ、やれるうちにやれることはやっておきたいし、やらなくていいことは極力やりたくない。

今朝は、昔、テレビライフという雑誌のインタビューで会った4人の老優のことを思い出していた。
ところが、みなさんの顔もプロフィールも分かるのだが、誰一人名前が出てこない。
中村伸郎 浜村純 花沢徳衛 殿山泰司

どうしても思い出せないので、Googleで検索し始めた。
「授業 ロングラン」で出てきたのが中村伸郎さん。
「祭りの準備」ですぐに分かったのが浜村純さん。
花沢徳衛さんはなかなか出てこなかった。「共産党 俳優 迫害」とか入れて、ようやく出てきた。
最後の殿山泰司さんはどうしても出てこなかった。「つるっぱげ 銀座のボンボン」など入れても出てこない。
で、いっそ……と、他の3人の名前を並べてググったら、思いもかけず、11年前にAICで書いた文章がヒットした。
これを書いていたこともすっかり忘れていたのだ。

全文を引用してみる。
老いるショック

20年ほど前のことになるが、テレビ雑誌の仕事で、老優と呼ばれる役者さん4人にインタビューしたことがあった。
都内の料理屋で、中村伸郎、浜村純 、花沢徳衛、殿山泰司という4氏を前に、まだ20代終わりか、30代になったばかりの僕がいろいろな話を聞き出すという図。
4人の中でいちばん若かったのは殿山さんで、1915(大正4)年生まれ。他の3人はみな明治生まれ。
その席で、どういう神経か、僕は「死を怖れるということはないですか?」と訊いた。
前後のつながりは覚えていないのだが、多分、老いをテーマにしたテレビドラマかなにかの取材だったので、老いと死というものを、実生活ではどうとらえているか、というような流れだったと思う。
若造の口から不躾な質問が飛び出したにもかかわらず、みなさん怒ることもなく、しかし異口同音に、急に強い口調になってこうおっしゃった。
「ないよ、そんなの」
「ないない」
「ぜんぜんない」
「死が怖いというのは、あなたがまだ若い証拠ですよ」

若いときは銀座でならした(この表現も年寄り臭いが)という殿山さんは、僕の目をじろっと覗き込んで、
「歳取ると、だんだん女とやりたくなくなるんだよ。それは確かだね。死ぬことも、どうでもよくなってくるんだ」
とおっしゃった。

あのとき、僕は性欲も強かったし、死ぬことがとても怖かった。20年以上経った今、殿山さんの心境にずいぶん近づいている。
死ぬことへの恐怖は薄らいできたが、老いることへの恐怖は強まるばかりだ。

話変わって、毎年夏休みに入る前の3週間、僕は母校・上智大学の教壇に立って授業をやる。外国語学部英語学科の授業だが、「普通に」就職しなくとも生き延びている卒業生として、学生たちにカツを入れてくれというリクエストにこたえるものだ(一応、非常勤講師としての正式授業で、教員証も持たされている)。
そこで僕は、自分の今までの人生がいかに失敗であったかを、包み隠さず話す。

中学2年のとき、まだアマチュアだったオフコース(小田和正、鈴木康博、地主道夫の3人によるフォークグループ)の演奏を生で聴いて感動し、翌日から音楽一筋の人生を決意して挑戦し続けてきた……というところから始まる(教室には1969年のYAMAHAライトミュージックコンテストフォーク部門決勝大会で歌うオフコースの『Jane Jane』が流れる)。
いくつもの失敗の末、CBSソニーの売れっ子ディレクターT氏(当時、矢沢永吉らを担当)に認められ、オフコースのような男性デュオユニットとしてようやくデビューのチャンスを掴んだのに、同時に獲得に名乗りを上げたビクターのディレクターM氏との間で心が揺れ動き、迷った末にビクターを選んだことが、僕の一生を狂わせる結果となった。
ソニーのディレクターT氏が僕を作曲家として認めていて、日本最大手の音楽出版社社長と組んで育てようとしていたということは、ビクターを選び、ソニーに断りに行った日に知った。T氏からは別れ際、「きみたち、こんなことしたら、この業界で生きていけなくなるよ」と凄まれた。
そのとき、すでに大きな後悔をし始めていたが、もう後には引けない。
しかし、そこからは悪夢のようなことばかりが続いた。
ビクターでデビューアルバムを録音中、若い女性マネジャーと結託してソロとしてデビューすることを画策していた相棒(高校の2年後輩)と決別した。相棒はまんまとソロデビューを果たし、僕の曲は録音されたままお蔵入りになった。
ドラムス:村上ポンタ秀一、林立夫(パラシュート)、ギター:安藤やすひろ(スクエア)、今剛、キーボード:井上鑑、サックス:ジェイク・コンセプション……といったそうそうたるバックミュージシャンたちによってレコーディングされながら、僕の曲は、結局そのまま一度も世に出ることはなかった。今ではレコード会社にもマスターテープは残っていないだろう。
あのとき、なぜ耐えて「せめて1年は一緒にやろう」と相方に言えなかったのか。そもそも、ソニーを選んでいたらこんなことには……。

その後も、ソロとして再デビューを試みるが、ディレクターが会社内で問題を起こして移籍したり、レコードが出る前に事務所がつぶれたり、まるで何かに祟られたように不運が続いた。

もう忘れたい、そうした呪われた過去を、毎年1度、学生たちの前で話すのだ。話すたびに1つ歳を取っていく。
話すことで、ふっきれるならいいのだが、そうはならない。授業の時期が近づくと、毎晩のように嫌な夢を見る。過去の失敗を引きずっていることが明らかな、後ろ向きの夢だ。
自分が失敗したときの傲慢さや浅はかさを、今は十分に反省している。そうした未熟な部分を、教室の中の学生たちにも見ることがある。だからこそ話す。
ここまでさらけ出しても、君たちには伝わらないだろうな、と思いながらも、求めなければ何も実現しないのだというメッセージを伝えようと努力する。

50歳を目前にして、もうできないことはたくさんある。例えば作品の「若書き」や、ステージでの暴走的パフォーマンス。
音楽にしても小説にしても、若さで突っ走るような作品は作れないし、演じられない。
今の自分が納得できるものは、多くの人が好むものとは違ってきていることも感じる。
売れることが音楽人生の目標なら、死ぬまで「売れる」ことはないだろう。

となれば、あとは自分がどうやって老いるか。楽しく老いるか。充実感を持って老いるか、が問題。
学生を前に話し、演奏しながら、結局は自分の人生を確認する作業をしている。
「酸っぱい葡萄」ではないが、いつも最後は自分にこう言い聞かせる。
社会的に成功し、あとは別段何をしなくても、印税と、知名度を消費していけばいい、というような老い方は決して幸福ではない。50になっても成功していない人生、50になってもハングリーな精神状態を持ち続けているこの人生は、幸せな人生ではないか、と。

人生50から。ということで、今年はまだ49歳なので、50からの人生を始めるためのリハビリ年間とすることに決めた。そう思えば少しは楽になれる。(……で、リハビリがずっと続いたりして……)

中村伸郎、浜村純 、花沢徳衛、殿山泰司の4氏はもう他界している。
殿山泰司さん、1915/10/17-1989/4/30。
中村伸郎さん、1908/09/14-1991/7/5。
浜村純さん、1906/02/07-1995/6/21。
花沢徳衛さん、1911/10/18-2001/3/7。

中村さんは、別れ際に突然僕の手を両手で握って「お元気で!」とおっしゃった。あまりに唐突で、しかも素直な行動だったので、驚いた。
浜村さんは、「子供を作らなかったからこそできたことは、子供がいなければできなかったことよりはるかに多い」という意味の言葉を残してくださった。結婚する前から、子供を作らないと決めていた僕にとって、とても力強いメッセージだった。
花沢さんは意気軒昂に、戦時中、特高にひどい目に合ったことや、それでも信念を曲げなかったことなどを語ってくださった。
殿山さんが、僕が訊いてもいないのに「歳取ると、女とやりたくなくなる」とおっしゃったことは、自分が歳を取るにつれ、じわじわ、ボディブローのように効いてくる。あのときは全然ピンとこなかったのだが……。

ほんの小一時間のインタビューだったが、そこにいるだけで、4人の名優の生き様が直に伝わってくるような、濃密な時間だった。
僕があと20年以上生きながらえれば、あのときのみなさんと同じ年代になる。
その20年をいかに楽しめるか、だわね。
面白い。やってやろうじゃないか……と、前向きに考えよう。

それにしても、しょーもない駄洒落をタイトルにするようでは、もう終わってるかなぁ。
(2004年5月 AICに掲載の「デジタルストレス王」より)

Bbの循環


上智の非常勤講師も2011年を最後に終わった。あれも考えてみれば「最後の授業」「最後の上智ライブ」になってしまったことを、後になってから知ることになった。

で、さらに時間を遡ること10年以上、吉原センセにジャズギターを習っていたときの練習曲を、最近、気晴らしに録音してみた。
「新唱歌」シリーズが続いて、シンプルなメロディを作ることに集中していたので、正反対のこともちょっとやってみようか……というのと、ずっと楽器を触っていなかったから指のリハビリを兼ねて。
↓こんな感じ。

ジャズの人たちはみんなこれをやる。「循環コード」の練習。
ブルースをやって、循環をやって、並行してスタンダードナンバーが弾けるようにレパートリーを増やし、だんだん難しい曲をやれるように……そういう階段を登っていくことがジャズをやることだと思っている。
ジャズって、そういう固定されたものではなくて、本来はなんでもありの自由自在なものだったのではないか、という気もするのだが……。

僕にとっては、ジャズをかじったことで作曲の世界が広がったことはとてもよかった。
ただ、やはり僕にとっての音楽は「演奏」ではなくて、メロディでありフレーズなんだよね。
人によって音楽は同じものではない。
ある人にとっては「いい音」が音楽だし、別の人にとっては「人生の記憶」だったりする。
僕にとっての音楽は言語(音階)によってよい文章(楽曲)を書くようなものなのかもしれない。
新唱歌シリーズは俳諧の世界に近い。
KAMUNAの音楽は物語性の高い創作、かな。

テニスを諦めたように、楽器演奏や歌を諦める日が来るのか? 目標はステファン・グラッペリのように、死ぬまで現役でいること。
歳を取って下手になったね、声が出なくなったね、と言われるのはやはり辛い。せめて、歳を重ねて味が出てきたね、と言われるようになりたい。そのためには努力していかなくちゃなあ。

2015/05/27

ヒバカリ


オオカミ池でヒバカリがのんびりしていた。
こいつはオタマをガシガシ食うので、歓迎したくない。殺生はしないけれど、出ていってほしい。
タモで掬って、少し離れたところに放した。またすぐ戻ってきてしまうかな……。

小さいので、ヘビというよりはでかいミミズのような……


残念だけど、あんたは歓迎しないよ








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