狛犬図鑑01は、少しでも多くの人に届きやすいようにと、オフセットで700冊作った。初期費用の回収は容易ではない。
だから、02以降は判型を小さくしてオンデマンドで続けていこうとしているわけだが、いずれにしても採算の合う仕事ではない。
自分にしかできない創作活動ほど人の目に、耳に触れず、金にもならない。誰にでもできそうな仕事ほどそれなりのお金になる。……これは20代以降ずっと抱えているジレンマ。
残りの時間をどんな創作に費やすか……音楽がいちばんエネルギーが必要だが、いちばん金になっていない。
それでも、残り時間が少なくなればなるほど、気力が弱まってくればくるほど、今しておかなければできないことを優先してやろうという気持ちはある。
バイエルのような練習曲集を作ってみようか、とか、新唱歌シリーズを組み入れた童話形式の動画絵本を作ってみようか、とか、頭がなんとか働くうちに、死をテーマにした(正確には「死」を楽に迎えるためにいかに充実して生きるかというテーマで)文章を書き、考えをまとめていきたい、とか……。
でも、どれも、うまくやれたとしても、自分が生きているうちには埋没したままだろうという「確信」がある。今の時代、人々の心がどんどん余裕を失っているのも分かる。音楽を聴いて感動したり、本を読んで思索にふけるなどという時間がない。生活費をいかに稼ぐか、明日、どうやって生き延びるか、閉塞感につぶされずに心を保つのが精一杯。
ああ、今日もできなかった……と思いながら日々が過ぎていく。
そんなとき、フェイスブック経由で思いもかけないメッセージが届いた。
英文だが、こんな内容だった。
たくきさま
いつかあなたに手紙を書きたいと思ってました。あなたの音楽がどれだけ私の人生にとって重要かを伝えたいと。
『グレイの鍵盤』
はもう10年以上も私の友です。もし無人島に5枚だけアルバムを持っていっていいとなったら、『グレイの鍵盤』は間違いなくその中の1枚です。
あなたのアルバムなしの私の人生は想像できません。
何年も前に、タヌパックのWEBサイトからCDを注文しました。そのとき一緒に入っていたサイン入りカードは私の宝物です。
私の人生、そして世界を豊かにしてくれて、ありがとう。
僕はファンレターというものをほとんどもらったことがないので、しばらくはポカ~ンとしてしまった。
ここまでストレートな内容のものをもらうのは人生でこれが最初で最後かもしれない。

作っても作っても誰にも届かないまま死ぬのか……と諦めの境地だったのだが、ああ、数ではないよな、と、改めて気持ちを持ち直せた。
音楽は難しい。
同じものを聴いていても、人によってまったく違う感動の仕方をしていることが多い。
例えば、マーチン・ルーサー・キング牧師の演説を聴いて感動している人は、ほとんどは言っている内容に感動しているわけだが、中には「彼の声は素晴らしいね」「力強いトーンだね」「姿が美しいね」と感動している人がいるかもしれない。音楽ではそういうことが常に起きている。
持っている音感の違いで、同じ音楽を聴いていても心を揺さぶられるポイントがまったく違ってくるからだ。
僕はメロディを作ることに最大の価値を感じているのだけれど、音楽の要素はメロディだけではない。しかも、メロディに感じる、という人も、いいメロディ、つまらないメロディがそれぞれ違うわけで、普遍の価値が見出しにくい。
20代の頃に出会ったアメリカ人ギタリストは「汚い音楽が好きだ」と言って、ノイズと不協和音の塊みたいな楽曲を聴かせてくれた。
僕が自分のでもテープを聴かせると「Great! 完全な音楽、という気がする」と答えた。しかし、「汚い音楽が好き」な彼にとっては、きれいなメロディの音楽なんて価値がないものかもしれない。
メッセージをくれたこの男性にしても、僕とは違う感動をしているかもしれない。
音楽だけではないが、創作の世界で作り手がとことん孤独なのは仕方がない。
井津先生の遺言でもある「一人に向かって」「志を忘れずに」やり続ける。それしかない。
ちなみにこの男性は、タヌパックの通販CDを唯一海外から注文してきた人だった。
ありがたいなあ、と思って、裏に「Thank you!」とだけ書いたカードを入れたのだが、そのことは記憶にない。

彼が送ってきた画像↑を見ると、秩父の狼の写真だなあ……全然記憶にない……(^^;;
こうしてケースに入れて大切に持っていてくれたなんて……。こちらこそ、ありがとう! だ。
……では、返礼に……