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のぼみ~日記2018


2018/12/16

「平気になったの」


昼飯食っていたら、ピンポ~ンと鳴った。
あ~、また「み~ちゃんは?」か。み~を見ると、察知して知らん顔を決め込んでいる。
玄関ドアをあけたら、ライチェルを連れた二人がニコニコして立っている。
「あれ? あんなに怖がっていたのに、どしたの?」
「平気になったの」
そりゃよかった。なによりもライチェルが喜んでいるだろう。ゆいちゃんに「こっち来ないで! ライチェルは悪者!」とか言われてたから。

後から知ったが、さいもんパパが二人にライチェルの頭を撫でさせて「怖くないだろ?」と教えたらしい。
よかったよかった。これでゆっくりできる


さいもんくんに付き添われて散歩に出かけるゆいゆう

2018/12/17



夕方、ライチェルを迎えに行くために歩いていると、ゆうくんがどこからともなくピュ~っと走ってきて「犬の散歩? 一緒に行く!」と合流した。
「ライチェルのこと、怖くなくなったんだね」
「……うん……最初怖かったけど……可愛い」

ゆうくんは言葉が少ない。何か訊いても返事をしないで、もごもごっとすることが多い。
レオの散歩をしているときも、たまにそばに寄ってきたり、少しだけ後をついて歩いてきたりしていた。でもすぐにまたピュ~っといなくなる。


今夜の月



今夜ののぼみ~


2018/12/18


今日は13.30から介護度認定員が役所から来て、親父の介護保険更新に際しての要介護度審査をする日。施設に行って付き添い。
思いのほか時間がかかって、15.30に訪問看護師さんが来てもまだ終わらなかった。
親父はこのところ急速に弱っていて、問題行動も増えた。
食事もみんなと一緒にはとれなくなり、部屋にお膳を運んで食べさせているという。それも、一人にするとお茶をいきなり窓に向かって投げ捨てたり、何をしでかすか分からないので、ドアを開けたまま廊下からスタッフがひとり、見てない体の見守り。
スタッフが調査員にいろいろと説明するのを横で聴いていて、改めて、介護というのがどれだけ大変な仕事なのか痛感させられた。
トイレや入浴の介助の大変さ(詳しくは書けないが、想像以上……)もさることながら、どこまで本人のペースや感情を尊重し、それに合わせるか。どうすれば本人にとっていちばんいい生活が形成できるのかを考える。親父の場合、普通の認知症とはかなり違うケースを多々提供するので、経験豊富なスタッフも毎日悩んでいるようだ。

例えば、スタッフが笑って「空気読んでよ」と言うと、「空気は吸うものです」と答える。
ジョークが言えるほどまだ頭が回転しているのかと思うと、国語辞典を持ち出して、真顔で言葉の解説をしつこく試みようとする。

毎日「ウンチノート」を細かくつけているのだが、それが現在を通り越して数日後にまで及び、「未来の日記」になっている。その「未来のウンチの記録」にそってトイレに行こうとしているのか、便意に関係なく、1日何回もトイレに入り、心配になるほど力む。当然、出ていないときのほうが多い。
この施設の歴史の中でも、こういうタイプの入居者は経験がないとのことで、その都度みんなが「どうやって対応するのがいちばんいいのだろう」と頭を悩ませるそうだ。
夜に起きてきて大声で歌を歌ったり、ぐるぐる歩き回るのはいちばん困ったらしい。スタッフの一人は「このまま寝ないと体力が持ちません。誘眠剤も効かないので、これは内科的な処方ではなく、精神科領域の処方ではないと無理なのではないか」と訴えてきたが、その後、「夜はベッドの中にいる」と自分でメモを書き、それを部屋のあちこちに貼ったら、数日間はピタッと収まったという。
それも数日後にはもう効かなくなり、夕方5時半に突然「寝ます」と言って、夕飯もとらずに寝てしまったり、相変わらず時間感覚が滅茶苦茶らしいのだが、夜中に大声を出すといった行動が一時期ほどはひどくはなくなったというので、今は様子見だそう。
24時間、見守り続けなければならないのだから、本当に大変な仕事だ。

訪問看護師さんに後は頼んで、急いで帰ってくると、ゆいちゃんが「あ! 帰ってきた~」と遠くから走ってきた。
「今日はゆうくんはいないの?」
「知らない~」
「昨日はどこからともなくピュ~っと現れたけどなあ」
愛ちゃん(ゆいちゃんママ)「ゆうくんはいつもどこからともなくピュ~っと現れるから」
それを畑から見ていたゆいちゃんのじいちゃん「なんだ。孫がいっぱいできていいじゃねえか」
あたし「う~~ん……」

結局、ゆうくんは現れず、今日はゆいちゃんとライチェルのお散歩。
ゆうくんと違って、ゆいちゃんは話しかけずとも、ず~~っと一人で喋り続けている。 「今ね、学校で教科書に『ずーっと ずっと だいすきだよ』っていうお話があって、それをやってるの。犬と毎日散歩している『ぼく』……さいもんくんみたいな男の子と、エルフっていう犬のお話」
「へえ~」(そのへんで、これはエルフは死ぬな、と直感しつつ聴く)
「でね。エルフは天国に行っちゃうんだけど……」(あ、やっぱり)
「ゆいね、ライチェルとお散歩するようになって、犬の気持ちが分かるようになったの。天国に行っちゃったレオの気持ちも」
「それはよかったね~」
「でね。ゆい、思ったの。なんでゆいが知ってることが全部教科書に載っているんだろう、って」

教科書に載っていることを自分は知っている、じゃなくて、自分が知っていることが教科書に載っているのはなぜだろう、という発想の方向性が面白かった。
子どものときって、そうだったのかな。
自分が知っている、認識している世界がすべて。
それが、大人になるにつれ、自分が経験することは決して特別なことではなく、普通のことだったと分かってくる。
辛いこと、嫌なこと、理不尽なことも経験するし、誰かを好きになって狂おしい気持ちをどうしていいか分からなくなるし、失恋して大泣きする。そんなこともさらに歳を取れば全部「あのときはバカみたいだったなあ~」と振り返るようになり……。
でも、子どもは違う。今の自分が知る世界がすべて。世界がこれから先、どのような形で広がっていくか知らない。

で、大人を通り過ぎ、老いて脳が萎縮してくると、また子どもの世界に戻っていく。
その戻り方がとても難しい。
誰でも程度の差こそあれ、長く生きていれば必ず惚けてくる。脳は弱ってくる。そのぼけ方が難しい。
頑固になる、偏狭になる、人の気持ちをおもんばかれなくなる……そういうぼけ方だけはなんとしても避けたい。
笑い話ですませられるようなぼけ方でありたい。

……1日の中で、老人の世界と子どもの世界の両方に接して、ちょっと疲れてしまった。
ちょっと寝る……。最近は夕方、30分くらい寝ないと、夜までもたなくなってしまった。

今日の夕暮れ







そして夜も更けていく……


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