2019/05/15
修那羅山の石仏群(9)
猫神・鬼神スポットの先には、現代の作家が商業作品を納めたようなスペースもあった。ほんとになんでも受け入れる場所なのね。
さて、そろそろ戻りますか……。
大黒かなあ……
最初の所まで戻ってきた。
一旦潜り出入口?を出て、隣の潜り出入口に入り直すと、左手に木彫仏を納めた木妻殿と呼ばれる建物があり、ガラス越しに中が覗けるのだが、ガラスが反射してしまい、よく見えないのが残念。
山をめぐっている間に、社務所に住んでいるというおばあさんがデイサービスから戻ってきた。息子さんがここの管理をしている宮司さんだという。
元々は安坂神社という神社の宮司だった家柄なのを、頼まれてここの管理をすることになったという話だった。
「盗んでいく人がいて、追いかけたりして大変なんだ」とも言っていた。不届き者がいるんだねえ。
この山は本当に謎だらけなのだが、どの石仏も小さいのは、信者たちが自分で背負って運んでくるため、大きなものは無理だったからだと推測する研究者もいる。
素人が彫ったようなものが多いから、お金もかけられなかったのだろう。
独特の庶民信仰が幕末~明治初期にかけて、この地に根づいたというドラマは、本当に想像をかき立てる。一種ファンタジーの世界でもあるし、明治新政府によって破壊され、失われた大切なものをタイムカプセルのように閉じ込めた世界ともいえる。
境内には、今頃桜が咲いていた。この桜も独特の味わい。
駐車場まで戻り、さて、帰りますかね。
この駐車場に到着したのが15時で、今は16時46分。2時間弱、ここで過ごしたことになる。
生きているうちにもう一度訪れることがあるかなあ……。懐かしく思えるほどの時間があいたら、その頃はもう足腰も駄目になっているか、頭が惚けているか、そもそもそんなに生きていられないか……。
しかし、一生忘れられない場所になったことは確かだ。
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「神の鑿」石工三代記の祖・小松利平の生涯を小説化。江戸末期~明治にかけての激動期を、石工や百姓たち「庶民」はどう生き抜いたのか? 守屋貞治、渋谷藤兵衛、藤森吉弥ら、実在の高遠石工や、修那羅大天武こと望月留次郎、白河藩最後の藩主で江戸老中だった阿部正外らも登場。いわゆる「司馬史観」「明治礼賛」に対する「庶民の目から見た反論」としての試みも。
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