家の前の地味な桜は「地味桜」じゃ悪いので、「渋井桜」と名づけた。渋い桜。
渋井陽子みたいに、頑張っているんだけど、なぜか目立たない。

↑↓日本記録を打ち立てているのに、名前を覚えていない人がいっぱいいそう。

1万メートルの記録、去年の年末に新谷仁美が記録を破るまでは18年以上、ずっと渋井が日本記録保持者だったのだよね。
で、「桃じゃないの?」とまで言われてしまう渋井桜がきっかけで、改めて、梅・桃・桜の見分け方を復習した。
梅は分かる。パッと見ても、ああ、梅だな、という風情がある。
桃と桜はちょっと難しい。遠目ではよく分からない。
桃のサンプルを捜して近所を走り回ったが、これは桃かなと思うのがあっても、人ン地の庭に生えているので確かめるわけにはいかない。

↑↓これは梅。


花が枝から直接出ている。

↑↓これは桜。幹が特徴的。


↑これは桜かなあ……近くまで行くのが面倒で、なんとなく桜ってことに。

↑これは白木蓮かなあ。

白木蓮とコブシも区別が難しい。花の大きさの違いかな。


……と、近所を見回って、家まで戻って、渋井桜。

じっくり見ると、味わいがある。ど派手な感じじゃないのがいい。



足元を見ると、ホトケノザ。春の七草のホトケノザとは別物だという。


↑花粉症の季節はまだまだ続きそうだ。
2021/03/26

玄関に置いて乾燥させていた椎茸から菌がこんなに出ている。廊下が白くなっている。

渋井桜、今日が満開かな。


「渡辺直美さん報道、報ステCM。テレビ局「中の人」が訴える危機感。わきまえてきた、でも…」……というハフポスト日本版の記事(2021/03/24)が面白かった。
テレビ番組の制作には、ものすごくたくさんの人が関わっている。
一見、自由な議論がされているように見えても、どのタイミングで、誰が、どれくらいの時間を話すかーーというのは、ある程度決められている。
この話は盛り上がりそうだな、面白そうだな、視聴率が取れそうだな、と制作側が考えれば、その分そのトピックに割く時間は長くなっていくし、「おもしろそうな」事を言いそうな人の発言機会は増える。
では、「誰が」おもしろそうだと決めるのか。
決定権を持つのは、チーフ級以上のスタッフ数名だ。番組によっては、プロデューサーやメインキャスターが大きな決定権を持つこともある。
……そう、「誰が面白いと決めるのか」……。その「決める人」の感性や品性次第で番組はいかようにも編集されてしまう。
たま~~~~にテレビに呼ばれることがあった。
「この人を呼びたい」と声を上げたのは、ほとんどが女性だった。
それは呼ばれた現場に行けばなんとなく分かる。ディレクターの男性はみんなちょっと戸惑ったような感じで私を迎える。スタッフの女性が一生懸命相手をしてくれる。ああ、この女性が最初に声を上げたのかな、と推測できる。
私は基本的にテレビ向きの人間ではないと思う。それでも、呼ばれたときは精一杯「お仕事」としてこなそうという気持ちと、おもねることだけはするまいという気持ちの両立を考えて、自滅するような結果が多かった。その結果、会議で声を上げた女性に迷惑がかかったのではないかと、後々まで悩むことになる。
テレビ……ねえ……。
難しいねえ。
テレビを健全なメディアにする道は果てしなく遠く、おそらくこれからもいい方向には向かわないだろう。
でも、テレビが完全な「オワコン」になるまでも、まだまだ時間がかかりそうだ。
私だって、お笑い芸人を知る手段のほとんどはテレビだもん。劇場に足を運ぶことは無理だし。
そうしたジレンマを抱えながら、創作や表現で何かを生み出したいと思う人種は、テレビを完全には無視できないまま、自分にできる手段を探し続ける。
愚痴っても仕方ない。
ブラックリスト入りしていても、特高に引っ張られないだけ幸せだと思う。(それもいつまで続くか分からないけれど)
わたしゃ渋井桜でさえもない。そのさらに後ろに隠れている丸太に生えた椎茸でいいさ。