●1890(明治23)年 帝国議会開設
山縣有朋 主権線・利益線論……日本の領土・国権(主権線)の他に、主権線と密接な関係にある隣接地域での権益(利益線)を確保することが重要とする論←ローレンツ・フォン・シュタインの影響
……シベリア鉄道完成で朝鮮の独立が危うくなると主張⇒一般会計歳出の26%を占める軍事費を削減するな、と議員たちに訴える


1892(明治25)年 川田神社(天満宮)の狛犬「浅川町福貴作 石工小松布孝作之」寅吉48歳 初めての銘入り狛犬を自ら奉納して小松家惣領襲名を宣言

1893(明治26)年7月、寅吉 鹿嶋神社隣神宮寺墓地 佐久間由松の墓石

1893(明治26)年9月、白河借宿新地山参道口の狛犬「福貴作 石工寅吉作」寅吉49歳
●
1894(明治27)年 朝鮮で甲午農民戦争勃発。
朝鮮国王が農民蜂起鎮圧のために清国軍派遣を要請
日本は清国に「軍の共同派遣」を申し出るが清国が拒否
清国、日本ともに軍を朝鮮へ派遣
内乱鎮圧後も日本は朝鮮からの軍引き上げをせず
(朝鮮の内政改革を推進させようとする日本に対して清国が拒否をしている……と、開戦の理由づけ)
福沢諭吉「文明開化の進歩を謀るもの(日本)と進歩を妨げるもの(清国)との戦」である」(時事新報社説) ⇒
日清戦争へ突入
★「朝鮮の改革をめぐって文明(日本)と野蛮(清国)の戦争である」という政府や知識人たちの説明を庶民も積極的に受け入れた。
(実体は朝鮮における日清両国の覇権争い……当時の帝国主義戦争の一環)
⇒国内で義勇団、義勇兵組織運動が活発化。政府はそれが膨張するのを恐れて義勇兵応募に歯止めをかける動きも。
●1895(明治28)年 日清講和条約締結。
- 清国は朝鮮国が完全無欠な独立国であることを認め、従来の貢献典礼を全廃する
- 遼東半島・台湾・澎湖諸島の割譲(清国としては「沖縄県」を完全に日本の領土として認めただけでなく、台湾も渡すことになってしまった)
- 軍費賠償金の支払い
- 重慶など4港の開港
↑ロシアを刺激し、
三国干渉に至り、日本はロシアにとっての最大軍事拠点である遼東半島を返還
★日清戦争は日本が初めて国外で大きな戦争をして、勝利したという歴史的事件だった。
それまでは周到に武力対立を回避させようとしていた福沢諭吉らも、開戦に至っては「野蛮(清国)と文明(日本)の戦争」であるとPR。
国民もこぞってその論を受け入れ、一部では熱狂的な義勇兵運動も起きた。
そんな中で、寅吉は50歳目前にしてようやく独立を宣言し、和平は寅吉に弟子入りした。
狛犬ネット入口目次へ
『日本狛犬図鑑05 小松利平・小松寅吉・小林和平』★
利平・寅吉・和平の狛犬作品のほぼすべてを収録。掲載写真点数約200点。
B6判・96ページ フルカラー オンデマンド 無線綴じ
1200円(税別) 送料:160円
■ご案内ページは
こちら
更新が分かるように、最新更新情報をこちらの更新記録ページに極力置くようにしました●⇒最新更新情報
books
music
目次
HOME