放送前から「これはすごいから必見」という評判が流れてきていた「NNNドキュメント’17 戦争のはじまり 重慶爆撃は何を招いたか」(日本テレビ)。録画してあったのをようやく見た。
ほとんどの日本人は「重慶爆撃」というものを知らないと思う。南京大虐殺は有名だが、重慶爆撃って何? ……と偉そうに書いている僕だってほとんど知識がなかった。
Wikiには、
重慶爆撃は、日中戦争(支那事変)中の1938年2月18日から1943年8月23日にかけて、日本軍により断続的に218回行われた重慶に対する戦略爆撃
日中戦争・第二次世界大戦と続くこの時期の世界戦争の中で、1937年のゲルニカ爆撃に続く最初期の組織的な戦略爆撃に位置づけられる
……などと書かれている。
ここに出てくる「ゲルニカ爆撃」のゲルニカとは、ピカソが描いた大作『ゲルニカ』で有名なスペインの町。
スペイン内戦の中で、反乱軍を支援したドイツ軍が1937年4月26日にゲルニカに無差別爆撃を行った。人口7千の町で死者1654人、負傷者889人を出した
とされている。
また、ゲルニカはピカソのおかげで有名になったが、実はこれに先立つ1937年3月31日、4月2日、4月4日に、
スペイン南部のドゥランゴという町に、ドイツと同様、フランコを支援したイタリア空軍が同様に空爆をしていて336人が死んだという。
南京大虐殺もそうだが、メディアがこうした歴史上の出来事を扱うと、
「「日本が悪かった」という歴史を浸透、定着させようという戦略が背景にある」とか、
「「日本は被害者意識を持っているが、加害者だということを認識しろ」という、古臭い反戦説法である」といった攻撃が必ず出てくる。
しかし、歴史を学ぶ上で大切な姿勢は「日本が……」ではない。日本だけでなく、
国名を主語にした記述や解釈は極力やめたほうがいい。◎◎軍が、◎◎将軍が、◎◎国王が、◎◎大統領が……というように、主語はなるべく具体的な人物や組織の名称にして語り、検証すべきだ。
「日清戦争から太平洋戦争までの戦時中に設置された日本陸海軍の最高統帥機関である大本営は」とか「蒋介石を総統とする中国国民党政府は」というべきで、安易に「日本は」「中国は」「アメリカは」……といった、何が主体なのか分からない言い方はするべきでない。せめて「当時の日本政府は」といった表現、記述にするべきだ。
そのようなはっきりした主語のもとで、歴史上の事実を正確に検証し、なぜそうなってしまったのかをしっかり把握しておくことは、政治家や学者だけでなく、「普通の人」にとっても極めて重要なことだ。その材料を提供する番組が、あの「読売」グループの中にさえ残っているのは救いといえるだろう。
ワイドショーをはじめとするテレビ番組の劣化が目に余る。
前川・前文科事務次官の「出会い系バー通い」に対する読売新聞の異常な記事に対して、週刊文春が、実際に前川氏と何度も会っていたという女性に取材した記事が出た翌日のワイドショー。
内容はすべて週刊文春記事の丸写しである上に、わざわざ「ではA子さんと前川氏は実際に肉体関係は会ったのか。それはCMの後で……」みたいなお下劣極まりない演出・進行をしていたのには呆れ返った。
コメンテーターもひどいもので「(貧困実態)調査だというなら少なくとも二人以上で行き、領収書もらって、報告書を出すべきだ」みたいなことを真顔で言う者もいる。
被害者本人からレイプを告発されている山口敬之氏は、4月だけでも8番組、延べ47回もテレビ出演していた(週刊新潮記事)そうだが、それほどまでに重用し続けたテレビ局、番組側からはなんの説明もない。
ワイドショーや夕方のニュースバラエティ番組の劣化ぶりは本当にひどい。テロップやフリップの誤記、事実誤認は毎日のようにあり「先ほど……と出ていましたが、正しくは……でした。謹んで訂正いたします」なんて図が繰り返される。
例えば、森友学園問題で、野党の調査チームが籠池邸を訪れた際、自由党の森裕子議員をスタジオの誰も認識できず、解説役の「政治アナリスト」氏は「民進党の議員ですね」と言い、その後、テロップでも「民進党」と出していた。スタジオにいる誰も森裕子議員の顔も識別できないのかと呆れたが、最後まで「民進党」という間違ったテロップを出したことへの訂正もなかった。
あるいは、フランスの新大統領夫人が24歳年上という話題にあやかり「日本での歳の差婚事情」なる企画を立てて放送する。その企画自体が悲しいほどに安直で、年上妻が夫を子供扱いしてベタベタと接する映像もヤラセ感満載で呆れたが、なにより驚いたのは
「52歳で結婚した妻○○さんはもちろん初婚ではない」というナレーション。これは発言ではなく「ナレーション」なので、当然、ナレーション原稿があって、プロのナレーターが読み上げている。原稿を書いた者の非常識も問題だが、誰も原稿段階でチェックしていなかったのか? 校正しなかったのか?
視聴率はスポンサーのためだけにある
まあ、そんな中で例外的に救いとなっているのがNHKの連続テレビ小説『ひよっこ』だ。毎日、見るのが楽しみな朝ドラなんて、いつ以来だろう。『ちりとてちん』も泣けたけど、『ひよっこ』はさらに素晴らしい。なんとかこのクオリティを守って最終回までいってほしい。
前作『べっぴんさん』が日本の放送文化史上に残るほどのひどさ、事故・犯罪レベルの無責任ぶりだったので、それが反面教師になっているのだろうか。
ところで、朝ドラ史上に残る名作となりそうな『ひよっこ』だが、視聴率が伸びていないという。朝ドラ史上最悪と断言できる前作『べっぴんさん』より悪いというのだ。
しかしこれは何も不思議ではない。朝ドラの視聴率は地上波の朝の放送分だけ取っているのだろうが、朝の忙しい時間、しょーもない朝ドラはじっくり見る必要はないから時計代わりにただ流しておく。じっくり見たい朝ドラはしっかり毎日録画予約して、後から何度でも見る。それが如実に視聴率に反映しているだけだろう。
ちなみにうちではBSの朝の分を録画予約している。
朝ドラの録画は見るとすぐに消すのが習慣になっているのだが、今になって後悔している。『ひよっこ』は全部残しておいて、次作があまり期待できそうもないから、次のシーズン、また最初から『ひよっこ』を見直せばよかったと。
考えてみると、視聴率というのはCMを飛ばすこともなく、視聴時間や環境を整えるでもなく、だらだらと流している番組ほどいい数字が取れる。真剣に見るほどでもないけれど、まあ、つけておくか……という番組。
そういう番組ほど高視聴率がとれて、スポンサーにとっても都合がいいわけで、スポンサー第一主義で番組を作れば「じっくり見たくなる面白い番組」は作ってはいけないということになるのだな。毒にも薬にもならない、でも、ちょっとにぎやかしのためにつけておいてもいいか、と思える程度の番組を作れば視聴率が取れる。
ハードディスクにポンポン録画して見るのがあたりまえの現代では、民放地上波番組の質が劣化していくのは当然といえるかもしれない。
CMのないNHKやWOWOWなどはまったく視聴率など相手にする必要はない。スポーツの生中継などは別として、ドラマやドキュメンタリー、バラエティ番組などは、むしろ、低視聴率の番組をめざせ、といいたい。